算数の教科書に「おうぎがた」(扇形)を見つけ、鼻濁音が強く意識される言葉だと思った。
ふだんは鼻濁音など意識に上ることなどないが、あらためてこの発音の感触を味わってみると、幼いころに鼻濁音を使うよう母親に注意されたことをふと思い出した。 また同時に、最近の生活の中で、他者からこの発音を聞くことがほとんどないことにも思い至った。
「これは大切な日本語の伝統 “鼻濁音” が忘れられつつあるのでは?大変だ!」と思ったが、『日本語言語地図』を見てみると、鼻濁音を使うのが正しいと思っていた用語にもそもそも地域性がありそうだった。 とはいえ、面積比的にはもっと鼻濁音を使う人がいてもいい気がする。 『日本言語地図』の発行年を見ると1966年。 鼻濁音地域に入っているはずの関東に住んでいる体感としては、60年の間に状況はだいぶ変わっているのではないかと思う。
もちろん言葉は変わるものではあるが、日本語に関するもろもろが失われるという現象は、母語を大切にする日本人の数が少ないことの表れでないかと思ってしまう。 母語を大切にするかどうか──もちろんどちらか一方に「絶対善」があるわけではないが、母語を大切に思う人間からすると、伝統が失われるというのはやはり寂しいことだ1。
父親となり、我が子が()使う言葉に注意を払う身になってみると、日本語の使い方について話題にすることは、大した労力ではないにせよ、一定の「コスト」がかかる行いであることに気づく。 それを「細かいこと」と見過ごすのか、それとも当然のこととして話題に上げるのか2の境目は、どれだけ日本語を大切に思うかによって分かれるだろう。 母親に鼻濁音について指摘されたことを思い出し、自分が日本語を大切にする親に育ててもらったことを改めてありがたいと思う。
なお、本記事に登場した鼻濁音は下記の通りだ:
- おうぎがた
- 〜だが(逆接接続詞)
- 〇〇が(格助詞)
- 日本語(にほんご)
- 母語(ぼご)
- 我が子(わがこ)
- ありがたい(ありがたい)