素読を始めてから執筆時点までの進捗やふりかえりなどをメモ。
子供がやる素読にはもともと興味があったが、実際に自分の子供とやろうと思い立ったのは今年の 4 月だったらしい。 手元のメモによると 2025 年 6 月 29 日に初めての素読をやったようだ。 本記事の執筆時点まで、およそ 5 ヶ月継続したことになる。
主な対象は長男(執筆時点で小学 1 年生)。 長女(執筆時点で 4 歳)も最初は参加させていたのだが、「正式な入門は 6 歳からで、それまでは任意参加」という建付けにしたら自然消滅気味になってしまった。
この記事では長男と 5 ヶ月間やってきた素読についてのメモ。
方法と進捗 🔗
題材 🔗
四書五経の基本ということで、まずは論語から始めた。 訓読文と解説の確認には講談社学術文庫の訳注本を利用している1。 本書は、白文が正字で書かれているところが気に入っている。
ただし全てを読んでいるわけではなく、6 歳にとっても意義深いもの、という観点で、私が独断で抜粋している(「どの祭礼にはどの器を使う」みたいな古代中国の礼法について読んでもさすがに仕方ないかなと思ったり)。 執筆時点では子路第十三までを終えたところで、ここまで素読対象として選んだ節を数えてみると合計 51 節あった。
頻度と時間 🔗
毎朝の朝食前、 5–20分程度の範囲で継続している。
ただし学而編「弟子入則孝…行有餘力則以學文」の考えに基づき、素読は朝食の準備と部屋の片付けを終えてから実施するようにしている。
作法 🔗
子供と向かい合って正座し、瞑目したのち合手礼「よろしくお願いします」で始めることとした。 素読を後えた後も合手礼「有難うございました」で結びとしている。
読み方 🔗
白文と訓読文を読むようにしている。 白文の読み方はこの記事に書いた通り中国語発音とした。 発音は中国語のテキスト2で調べ、私が事前に繰り返し一人で練習してスムーズに読めるようにしてから子供との素読に臨んでいる。
なるべく毎日、新しい節を扱えるように練習したが、個人練習の時間を私が取れない時期には、同じ節を 2–3 日連続で読み続けることもある。
以前読んだ箇所の復習も交えつつ、毎日 2–5 節程度を読んでいる。
素読時に使うテキストとして前述の文庫本を使うことも考えたが、字が小さいため指し示すには不都合がありそうだった。 子供にも同じ文庫本を買い与えることも検討したが、素読中に子供の視線が手元の文庫本に落ちた状態になるだろうことに違和感があった。 これらの理由から、最小の文字サイズが 3 cm 程度となるように事前に筆で手書きしておき、中国語読み・訓読ともにこの手書きの白文を指し示しながら読んでいる。
書きあがった各ページを、こちらのページで紹介されている方法を参考に製本した。
ふりかえり 🔗
姿勢は何より大事 🔗
始めてからほぼずっと、子供が正座をするのは始めと終わりの礼の際だけで良いとして、素読中は足をくずすことを許してしまっていたが、これが悪かった。 素読中もいまいち集中力に欠け、何より子供の心構えや態度が、素読に適したものになっていなかった。
これでは素読をやる意味がまったくないだろうと妻と話した結果、ここ 1 週間は、素読中は始めから終わりまで正座を継続させるようにした。 はじめはかなり抵抗を示したものの、3 日目くらいから集中力や態度が見違えるように改善した。 結果的に毎日 1・2 篇ずつしか読めなくなってしまったが、今はまだ、量よりも質を高めることが重要と思う。
姿勢への注意は引き続き継続していきたい。
白文の読み方 🔗
ここまで中国語発音でやってきたが、論語を読み終えたら次の題材からは、白文はぜひ日本語の音読みで読むようにしたい。 この記事にも書いたのだが、以前は日本の音読みに抵抗があり、そのために中国語読みを選んでいた。 これは私がおそらく生まれつき外国語が得意なたちであることに起因していそうではあるが、今振り返ってみると、そもそも素読をやる意味や、日本人と漢字文化との関係を考えることなしに、一種の格好付けのような動機で中国語読みを選んでいたような気がする。
私が子供に素読をやらせることに決めた理由は、漢籍の素養に富んだ江戸・明治期の知識人のように、武士道精神や屈強な国語思考力を備えた日本人に育って欲しいからだ。 間違っても、目的は中国語を流暢に喋れるようになることではない。 今まで見落としていたのだが、白文の日本語音読みは決して「カタコトの中国語」ではない。 日本人は漢字を自国の文化として消化吸収したのであり、白文の日本語音読みは漢籍を「母国語」で学ぶことができる、日本人ならではの営みなのだ。
郷党第十を終えた頃、つまりちょうど折り返し地点でこのことに気づき、よほど先進第十一から日本語音読みに切り替えようかとも考えたが、四書五経を読んでいくことを考えればまだまだ先は長いので、まぁ論語くらいは中国語読みでよいとすることにした。
白文読みと訓読をどこで切り替えるか 🔗
素読を初めてからのほぼ 5 ヶ月間、白文読みと訓読の読み交え方については何も考えないでやっていたので、当然の如く「まず中国語で読み切り、続いて訓読で読み切る」方法で読んでいた。 ところが最近、『素読のすすめ』3を改めて読み返したところ、安達先生の方法では私よりももっと短い単位──意味の切れ目──で読みを切り替えていることに気づいた。
両方法それぞれ一長一短あるが、しばらくは安達式でやってみようと思っている。
意味を教えていたので「素読」になっていなかった 🔗
意味の理解はさておき、とにかく唱えることで感性を刺激するのが「素読」である。 このことは事前に理解していたはずだったのだが、実際にやり始めてみると、子供にとっては難しいであろう漢文を、意味も伝えず復唱させることが何だか気の毒なような気がして、知らないうちについつい大意を解説してしまっていた。 ところが、そのような解説を聞いてわかったような気になってしまうことの方がデメリットが大きいし、そもそも論語のようなスケールの大きい古典を、未熟な解説者がそのちっぽけな人間の器で切り取るような行為など、おこがましいにも程がある。
すぐに理解できる・すぐに役立つ何かが欲しいのならば素読などやめてしまえばよいのであり、我が家では子供が 20 年・30 年かけて自ら消化して血肉とすることを期待して、改めて忠実な素読をやることにする。
書道の習慣ができた 🔗
(これは素読自体のふりかえりではないか)
主に「小さい活字では指し示しながら読むうえで不都合なので」という理由から、成り行きで筆を執り始めた(せっかく大きい字を書くのなら、マジックによる貧しい線よりも、筆による表情豊かな線で読ませたいという思いもあった)。
自分の気質に合うような気がしたのは石川九楊先生が書いたもので、その中では入門者用の手本として『雁塔聖教序』と『九成宮醴泉銘』が薦められていた。 初めは両者の違いもよくわからなかったが、見比べるうちに前者のしなやかな線質に魅せられるようになり、これを当面の間の手本とすることにした。
ただし、雁塔聖教序のスタイルで論語各文を書くとなると、両者の時代差が微妙な面倒を生むことに気づいた。 論語は春秋時代末期の、雁塔聖教序は唐代の遺産であり、両者にはおよそ 1000 年の隔たりがある。 論語中の字を雁塔聖教序の中から探してみると字体がだいぶ違うことはよくあり、その場合には字体と線質との間に矛盾(?)が無いように、雁塔聖教序の字体を使うようにしている(篆書や隷書で書くのはさらに時間がかかるし、読みにくそうというのも理由)。 これでよいのか不明だが、エイヤで今後もこの運用でいくことにする。
思いがけず、書道の習慣が身についたのはおもしろかった。
考えていること 🔗
英語教育の予定はない 🔗
「これからは英語だ」と言われて久しいどころではないが、我が家では、英語教育を親の方から提供することはない予定だ。 藤原正彦先生もよく言っているが、英語が話せたところで、肝心の頭が空っぽなら意味がない。 むしろ話せないほうがマシですらある。
『福翁自伝』には、横浜見物の折に英語学習の必要性に目覚めるシーンがあるが、何と言っても英語の必要性に目覚めているこの人は福沢諭吉であることを忘れてはならない。 福沢諭吉ほどに内面充実の域に達すれば、知的活動の制限要因は確かに英語力になるだろうが、一方で現代人のほとんどは、当分の間は英語力など気にする必要はないだろう。
もっとも、幼少期に母国語以外の音に触れることは、単純に感性的な刺激になって良いかもしれないので、そういった意味で英語の素読をすることはあるかもしれない。 しかしその場合にも、英語で読む価値のある原典を選びたい。 その目的では新渡戸稲造の “Bushido” はおもしろいかもしれない。
四書五経のざっくり計画 🔗
ふわっとだが、素読は高校 3 年生まで続けてみようと思っている。 息子はいま小学 1 年生なので、あと 11 年ある。 11 年あったら、四書五経を読めるだろうか。
本人の様子にもよるが、だいたいこんな感じでいこうかと思っている:
- 小学 1–3 年生: 『論語』『大学』
- 小学 4–6 年生: 『論語』『孟子』『中庸』
- 中学 1–3 年生: 『詩経』『書経』『易経』
- 高校 1–3 年生: 『礼記』『春秋』
それぞれ全篇読破するなどは到底無理なので、どうしても抜粋にはなってしまうだろう。
かるた 🔗
楽しみながら古文・漢文に触れて感性を養う手段として、かるた遊びがあるらしい。 『武家の女性』4の述懐に出てくる題材は『新古今和歌集』『烈女百人一首』『武家百人一首』『三体詩』『唐詩選』など。 確かにおもしろそうと思ったので試しに新古今和歌集をめくってみたが、1900 首以上あった。 問答無用で抜粋形式だ。
唐詩選も眺めてみたが、こちらは私に漢詩の素養がないので「どうやって」かるたにするか見当がつかなかった。 日本における唐詩選かるた文化についての解説5を読んでみると、それぞれに立派な絵が入っていて、これを自作するのは私には無理に思えた。 オンライン販売商品も見つけたが 13 万円くらいしていた。
まとめ 🔗
妻の理解と協力のおかげでここまで継続できた。 有り難いことである。