もっと科学的な思考法を広めないとと思って note を書き始めてみたが、それ以前に美意識のほうが重要と再認識したのでメモ。 これはただのつぶやきなんだが、Twitter だと流れちゃうのでここに書いておく。
きっかけは、AI を使ったグロースハックに関する記事を目にしたこと。 グロースハックって、考え方自体は科学的なんだけど、私は大嫌いだ。 我ながら、科学的思考力は大事だぜと主張しているくせに、科学的思考をまさに実践しているグロースハックが嫌いというのは面白いと思った。 科学的な思考力はもちろん重要なんだが、それ以前に「何をやるか」のほうが大事。 行いの向き先が自分の美意識に反していたら、科学的思考うんぬんより前にサヨナラしたくなる。
グロースハックの利己的な出自にそもそも吐き気を覚えるし、A/B テストに至っては「お前には自分というものがないのか?」とさえ思う。 データドリブンな意思決定といえば聞こえがいいかもしれないが、デザインの良し悪しを悪い意味での大衆に問うたところで、低きに流れるだけだろう。
スタートアップ界隈では、ものづくりの方法論として米国発の「合理的」な考え方がが何かともてはやされるが、私は自分がいいと思うものを作る、という職人的な考え方のほうが好きだ。 これは単なる個人の好み。 マス的な成功を指標に生きている企業からすると、こういう考え方してるやつは「私にもそう思ってた時代がありました」的に映るんだろうけど、そもそも価値観の違いであって、優劣の話ではないと思う。
これはただの想像なんだけど、こういう「合理的思考」をあんまり考えずに振りかざす人々がいることって、世の中から戦争がなくならないことと無関係じゃないように思う。 戦争って、美意識とか道徳観念のない人々が「合理的思考」を追求した結果でしょ。